わかりやすく言うと、シミュレーション仮説は「この世界も、高度なコンピューターが作ったシミュレーションかもしれない」という考え方です。ぼくは実は、この仮説を信じています。映画『トゥルーマン・ショー』のことを思い出すと、この世界も似たような作りなんじゃないかという気がしてきます。『13F』(13フロアだったかな、というくらいのうろ覚えです)や、箱庭といえばマインクラフトというゲームもそうですよね。そういうものを見ていると、ぼくらもどこかで、ゲームの世界に生きているような気もするんです。
これ、ただの気のせいだと思われるかもしれませんが、調べてみたら「シミュレーション仮説」という名前がちゃんと付いていて、しかもけっこう真面目な学者が本気で議論していることを知りました。今日はこの仮説を、映画とゲームの話から入って、なるべくわかりやすく書いていきます。
映画で覚えた違和感から、シミュレーション仮説をわかりやすく考えます
ジム・キャリーの映画で覚えた違和感
『トゥルーマン・ショー』は、主人公のトゥルーマンが生まれてからずっと、自分の人生そのものがテレビ番組として世界中に放送されている、というのを知らずに暮らしている映画です。街も、家族も、友人も、全部セットと演者。トゥルーマン本人だけがそれを知りません。
『13F』も同じ空気を持つ映画
もう1本よく引き合いに出されるのが『13F』です(1999年の映画で、原作はダニエル・F・ガロイの『模造世界』です)。研究者たちが精巧な仮想世界を作って、その中の住人には「自分が仮想の存在だ」と気づかせない、という話です。
『トゥルーマン・ショー』が「気づかれずに演出された現実」だとすると、『13F』は「気づかれずに作られたデータの世界」です。切り口は違いますが、「自分がいまいる場所は、本当に一番外側の世界なんだろうか」という問いは同じところに向かっている気がします。
ちなみに『13F』は、楽天で探したときは中古のDVDが見つかりました。またAmazonのPrime Videoでレンタルまたは購入をして観ることもできるようです。気になる方はこちらからどうぞ。
Blu-ray版も探してみたところ、日本国内向けの正規盤は見つからず、楽天・Amazonともに海外版(輸入盤)の中古のみ見つかりました。日本語字幕の有無は商品ページからは確認できなかったので、気になる方は購入前にご確認ください。
「作られた世界」を扱った映画としては、同じ年代の『マトリックス』もよく引き合いに出されます。こちらは機械に支配された世界という設定で、切り口はまた別ですが、根っこにある「見ている現実は本物か」という問いは同じです。
『トゥルーマン・ショー』にせよ『マトリックス』にせよ、こういう映画が世代を超えて繰り返し作られること自体、多くの人がどこかでこの疑問を抱いてきた表れのような気がします。
マイクラで「作る側」の目線を思うこと
箱庭ゲームを作る側の目線

マインクラフトって、箱庭ゲームの代表みたいな存在ですよね。ブロックを置いて、自分の世界を作っていくゲームです。ぼくは子供と一緒にかなり遊んでいて、自分でも「マイクラー」を名乗れるくらいだと思っています。ゲーム開発にも関わっているので、遊んでいると、遊ぶ側の感覚だけでなく、作る側の感覚もわいてきます。
家族のワールドに入ろうとして、LANワールドまわりでつまずいた話は、以前こちらの記事にも書きました。

ゲームを作る側から見ると、プレイヤーが歩き回っている「世界」は、実際にはルールと計算の集まりでしかありません。見えている地形も、光の当たり方も、全部プログラムが「その場でそれらしく」表示しているだけです。プレイヤーには広大な世界に見えていても、裏側にあるのはただの計算です。
ワールドはいくつでも作れる、というたとえ話
これを知っていると、逆に「じゃあぼくらの世界も、誰かから見たら同じ仕組みなんじゃないか」と思ってしまうんです。物理法則も、目の前の景色も、ものすごく精巧な計算の結果を、ぼくらが「現実」として体験しているだけなのかもしれません。
ここで、ボストロムの論証の3つ目(ぼくらはほぼ確実にシミュレーションの中にいる)が出てくる理由を、マイクラふうのたとえ話で考えてみます。あくまでたとえ話で、証拠として持ち出しているわけではありません。マインクラフトは1本のソフトから、プレイヤーがワールドをいくつでも作れますよね。元になるプログラム(いわば“本体”)は1つでも、そこから生まれるワールドの数はどんどん増やせます。この発想を文明全体にあてはめると、“本物”の文明は1つでも、そこから生まれるシミュレーションされた文明はどんどん増えていくことになります。だとすると、ある時点でどこかの文明の中にいる人の大多数は、元の“本物”の側より、量産されたシミュレーションの側にいる確率のほうが高くなる、という理屈です。ワールドをいくつも作ったことがある人には、感覚としてつかみやすい話じゃないかと思います。
ゲームをする側でこの感覚を味わいたいなら、クラウドで遊べるゲームの話を別の記事にも書いたので、あわせて読んでみてください。買わずに大きな世界に入り込める、という点ではマイクラの箱庭感覚と近いものがあります。
箱庭の中で自由に世界を組み立てられるからこそ、逆に「その外側」を想像したくなるのがマインクラフトの面白いところだと思います。
シミュレーション仮説を大まじめに考えている学者たち
ボストロムの三択の論証
ここまでは映画とゲームで感じた「感覚」の話でした。でも、この感覚は単なる思いつきではなく、哲学者や物理学者が本気で議論している仮説でもあります。いちばん有名なのが、オックスフォード大学の哲学者ニック・ボストロムが2003年に発表した論証です。
ざっくり言うと、次の3つのうち、どれか1つはほぼ確実に正しい、という組み立てです。
- 人類はいずれ、祖先そっくりのシミュレーションを作れるほどの技術に達する前に、ほぼ絶滅してしまう
- そこまでの技術に達した文明があっても、そういうシミュレーションをほとんど作らない
- ぼくらはほぼ確実に、そのシミュレーションの中で暮らしている
ボストロム自身は「ぼくらはシミュレーションの中にいる」と断言しているわけではなく、この3つのどれかが真である、というところまでを論証しています(調べてみたけど、本人の論文の文章までは見つけられませんでした。解説記事から読み取った内容です)。それでも、選択肢の1つに「ぼくらは中にいる」がまじめに並んでいること自体、ただの思いつきでは終わらない話だと感じます。
チャーマーズやマスクも本気で考えている
ボストロムだけではありません。哲学者デイヴィッド・チャーマーズは著書『リアリティ+(プラス)』の中で、シミュレーションの中にいる可能性を、少なくとも25%程度と推定していると紹介されています。テスラやスペースXのイーロン・マスクも、2016年のカンファレンスで、本物の現実にいる確率は数十億分の1だ、という趣旨の発言をしたと報じられています(原文は英語で”one in billions”。「10億分の1」という訳を見かけますが、billionsは複数形なので「数十億分の1」が近いはずです)。
数字だけ見ると振れ幅が大きいですが、どちらもゼロではない、無視できない確率だという立場は共通しています。天文学者のニール・ドグラース・タイソンも、一時50%以上と報道されたことがあり、その後は考えを改めたとも言われています。立場は人によって違っても、真面目に確率を見積もろうとしていること自体が、この仮説の重みを表していると思います。
誰がどこでどんな立場を取っているか、いったん一覧にしてみます。
表に挙げた発言は、どれも解説記事や報道からの紹介です。数字そのものを鵜呑みにするより、「ここまで名前の知られた学者や経営者が、真面目にこの話を扱っている」という事実のほうを、ぼくは重く見ています。
ぼく自身も、AIと一緒にパズルゲームを自作したことがあります(そのときの記事)。
反対の声もある。学者の見方は分かれています
疑似科学だという批判もある
シミュレーション仮説には、反対の立場の学者もいます。物理学者のザビーネ・ホッセンフェルダーは自身のブログで、この仮説を疑似科学と評したとされています。宇宙物理学者のジョージ・エリスも、同じように批判的な立場だったとされます。どちらも本人の文章までは見つけられませんでした。紹介記事から読み取った内容です。
批判の中心は、「検証のしようがない仮説を科学と呼んでいいのか」という点にあるようです。これはもっともな指摘だと思います。ぼくらの世界がシミュレーションかどうかを、外側に出て確かめる方法は、いまのところ誰も持っていません。ネット上で見かける「宇宙はピクセルでできている」のような物理の現象そのものを証拠にするのは、ぼくはやりすぎだと思っています。
ぼくはこの仮説を信じていますが、それは物理の証拠があるからではなく、ボストロムの論証のような「論理の組み立て」が筋として面白いと感じるからです。証明されたわけでも、否定されたわけでもありません。そのグレーな場所に、この仮説はずっと居座っています。
この「本当かどうか分からないものを、どこまで考察していいか」という距離感は、以前ゴジラの大きさを戦艦や巡洋艦と比べて考えたときの感覚と近いです。あちらは映画の設定を現実のスケール感で考察する話でしたが、こちらは現実そのものの成り立ちを考察する話になっている、という違いだけです。

こんなふうに、身近な映画やゲームから考察を広げていくのが、この手の話の面白いところだと思っています。
それでも生きていく。だったらどう楽しむか
VRで「別の世界」を覗いてみる
ここまで書いてきた話は、日常生活をひっくり返すようなものではありません。この世界がシミュレーションだろうとなかろうと、ぼくらは明日も仕事に行くし、ご飯を食べます。それでも、この仮説を知っていると、世界の見え方が少し変わります。
そのひとつの入口として、Meta Quest 3が気になっています。公式にはVR(仮想現実)ヘッドセットという扱いで、現実の景色にCGを重ねるMR(複合現実)の機能も持っているそうです。うちの子供は、これをかぶってマイクラの世界に入りたいと、ずっと強く願っていました。ぼくも入ってみたいなと思っていました。振り返ったら後ろにゾンビが立っていたら、想像するだけでびっくりしますよね。
マイクラにVR版があった時期もあったようですが、調べてみると2025年に公式のVR対応が終了したと報じられています。AR(拡張現実)で遊べた「Minecraft Earth」も2021年にサービスを終えたようです。いまマイクラの世界にそのまま入れる公式のVR・AR版は無いようです。
それに、子供はまだ小さいので、体の成長を考えると早いかもしれないとぼくは思っていて、「ごめん」と言って買わずにいます(あくまでぼくの心配です。ちなみにMeta公式には10歳以上を対象にしているという案内があります)。まだぼくは持っていないんですが、それでもいつか、子供と一緒にあの手軽さで「別の世界」に入ってみたいと思っています。
本で考えを深めたい人には『リアリティ+』
もっとじっくり考えたい人には、さっき紹介したチャーマーズの『リアリティ+(プラス)』がおすすめです。上下巻に分かれていて、シミュレーション仮説だけでなく、VRの中の体験がどこまで「本物」と言えるのかまで踏み込んで書かれています。チャーマーズは同じ本の中で、VRの中の体験も「一種の現実だ」という考え方を紹介しているとされています。ここも本人の文章までは見つけられませんでした。作り物と切り捨てず、もうひとつの現実として見る発想で、ゲームを作る側にいるぼくには、しっくりくる考え方です。ぼく自身、まだ買っていないんですが、次に本屋か通販で見かけたら手に取ってみようと思っています。
まとめ:シミュレーション仮説を信じながら生きていく
『トゥルーマン・ショー』や『13F』、それにマインクラフトのような箱庭ゲーム。ぼくがシミュレーション仮説を信じているのは、そういう映画やゲームからくる感覚と、ボストロムたちの論証が重なって、「たしかにそんな気がするな」と思えるからです。
証明はできません。否定もできません。だったら、この宙ぶらりんの状態を楽しんでしまったほうがいいと、ぼくは思っています。映画を観返すときも、ゲームを作るときも、いつかVRをかぶるときも、「この世界もどこかで誰かが作っているのかもしれない」と思いながら過ごすと、ちょっとだけ日常が面白く見えてきますよ。

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