メガドライブを買ってもらえなかった思い出が、ぼくにはあります。今日はその話を書かせてください。きっかけは2026年7月15日のニュースです。NVIDIA(エヌビディア)のジェンスン・フアンCEOが秋葉原のイベントに登壇し、「セガがいなければ、今のNVIDIAはない」と語りました。AIブームの中心にいる世界的企業のトップが、日本のゲーム会社への感謝を、わざわざ来日して伝えたんです。
このニュースを見て、ぼくは思いました。ぼくもセガに感謝しているなあ、と。ただし、フアンCEOとは事情がだいぶ違います。ぼくはメガドライブを持っていませんでした。うちはファミコン派で、ねだっても買ってもらえなかったんです。遊んだのは友達の家。それでも——いや、だからこそ強烈に残っている思い出があります。
そして先に結論を言ってしまうと、ぼくは今、メガドライブでまた遊びたいとは思っていません。え、感謝してるのに?と思いますよね。その理由も含めて、「買ってもらえなかった側」から見たメガドライブとセガの話を、正直に書いていきます。
NVIDIAのフアンCEOが「セガがいなければ今のNVIDIAはない」と語った日
まずは、この記事を書くきっかけになったニュースの話からです。2026年7月15日、秋葉原のGiGO 3号館で、NVIDIAとセガに関するイベントが開かれました。登壇したのは、NVIDIAのジェンスン・フアンCEO、セガ元社長の入交昭一郎さん、セガサミーホールディングスの里見治紀会長、セガの内海州史社長、そして「バーチャファイター」などで知られる鈴木裕さん。ゲーム好きなら思わず身を乗り出す顔ぶれですよね。
この場でフアンCEOが語ったのが、「セガがいなければ、今のNVIDIAはない」という言葉でした。詳しくは時事通信の記事やファミ通の記事で報じられています。
ちょっと立ち止まって考えてみてほしいんです。NVIDIAといえば、今やAIブームの中心にいて、世界の株式市場を動かすレベルの企業です。生成AIの学習も、自動運転も、あのGPUなしには成り立たない。そんな会社のトップが、「うちが今あるのはセガのおかげだ」と、革ジャン姿でわざわざ秋葉原まで言いに来た。これ、冷静に考えるとすごい話ですよね。世界一クラスの企業の原点に、ぼくらが子供のころ憧れたあのセガがいたわけですから。
秋葉原イベントの救済劇
どういうことかというと、時計の針を1990年代半ばまで巻き戻す必要があります。当時のNVIDIAは、まだ創業間もないベンチャー企業でした。セガのゲーム機向けチップの開発に取り組んでいたのですが、これがうまくいかず、会社は倒産の危機に立たされていたそうです。
普通に考えれば、開発に失敗した取引先にお金を払う会社はありません。ところがセガは、このとき支払いを行う決断をしました。時事通信によると、その支援額は約500万ドル。この資金があったからNVIDIAは生き延び、のちのGPU開発につながっていった——フアンCEOはそう振り返ったわけです。
倒産寸前のベンチャーが、約30年後にAI時代の中心企業になる。そのターニングポイントに日本のセガがいた。この話、何度読んでもぐっときますよね。
入交元社長の決断
このとき支払いを決断したのが、当時セガの副社長だった入交昭一郎さん(1998年に社長就任)です。イベントにはその入交さんも登壇していて、フアンCEOが直接感謝を伝える場面になりました。約30年越しの恩返しです。
ビジネスの世界では「失敗した相手への支払い」なんて、株主への説明がつかない判断かもしれません。それでも当時のセガは払った。結果として、その相手が世界を変える企業に育った。もちろん、当時のセガにそこまでの計算があったわけではないと思います。ただ、筋を通した相手が大きくなって恩を返しに来た、という物語として、ぼくはとても好きです。
ちなみに今のNVIDIAは、ゲーム用GPUの会社という枠を完全に超えて、AIやロボットの分野まで手を広げる存在になっています。NVIDIAが今どんな会社なのかは、以前ヒューマノイドロボット投資の記事でも触れているので、興味があればどうぞ。
ファミコン派の家に生まれたぼくと、買ってもらえなかったメガドライブ
さて、ここからはぼく自身の、メガドライブを買ってもらえなかった思い出の話です。世界一の企業の感謝の話のあとに、いち小学生の「買ってもらえなかった話」を並べるのもどうかと思いますが、ぼくにとってのセガはここから始まっているので、書かせてください。
うちはファミコン派の家でした。ファミコンはある。マリオもできる。でも、メガドライブはねだっても買ってもらえない。「もうゲーム機はあるでしょ」と言われたら、子供には返す言葉がないんですよね。当時、同じ思いをした人はけっこう多いんじゃないでしょうか。
友達の家にだけあった「高みの存在」
じゃあどこで遊んだのかというと、友達の家です。メガドライブって、どの家にもあるものではなかったんですよ。自分とはちょっと違うセンスのお宅に、たまにある。お金持ちの家なのか、ちょっと年上の兄ちゃんがいる家なのか、正確なところは今でもわかりません。でも、なんというか「そんな高みの存在」だったんです。
友達の家に上がって、リビングや子供部屋にあの黒い本体を見つけたときの気持ち、今でも思い出せます。自分の家にはないものが、そこにはある。遊ばせてもらえる時間は限られている。だからこそ一回一回が濃かったんですよね。所有していた人のメガドライブの記憶と、ぼくのような「やらせてもらう側」の記憶は、たぶん質が違います。ぼくの記憶は、憧れとセットなんです。
ファミコンとは違う「オシャレさ」の正体
で、その憧れの中身をあらためて考えてみると、性能がどうとかソフトの本数がどうとか、そういう話ではなかった気がします。一言でいうと、オシャレさなんですよ。
ファミコンって、白と赤のあの親しみやすいデザインで、良くも悪くも「おもちゃ」でしたよね。それに対してメガドライブは黒。子供の目には、明らかに大人っぽく映りました。ソフトのパッケージの雰囲気も、出てくるゲームの音も、どこかファミコンとは違う匂いがする。当時のぼくにそれを言葉にする力はありませんでしたが、「これは自分の知っている世界とはちょっと違うものだ」という感覚だけは、はっきりあったんです。
買ってもらえなかったからこそ、その違いが美化されて記憶に残った面はあると思います。でも、セガというメーカーが当時から独自のセンスで勝負していたのは事実で、その空気を子供ながらに感じ取っていたんじゃないかな、と今は思っています。
マリオで育った小学生が、中学でソニックの疾走感に出会う
ぼくのゲームの原体験は、完全にファミコンのスーパーマリオです。マリオ1・2・3は、ぜんぶ小学生のときに遊びました。調べてみると、スーパーマリオブラザーズが1985年、2が1986年、3が1988年の発売。そしてメガドライブの日本発売が1988年10月29日ですから、ぼくがマリオに夢中だったころ、メガドライブはやっと世に出たばかりだったんですね。「メガドライブが出たのは、思っていたよりだいぶ後の話だったんだなあ」というのは、この記事を書くにあたって時系列を整理したときの、ちょっとした発見でした。
そして、ぼくがセガに感謝する最大の理由であるソニック・ザ・ヘッジホッグ。メガドライブ版の日本発売は1991年7月26日(北米では同年6月23日に先行発売)です。ぼくはこれを中学生のときに、やっぱり友達の家で遊びました。ベタですみません。でも、ベタになるだけの理由があるゲームだったんです。
マリオとはまったく違う「気持ちよさ」
初めてソニックを遊んだときの衝撃は、「速い」の一言に尽きます。マリオで育ったぼくにとって、横スクロールアクションというのは、ジャンプの位置を見極めて、敵の動きを読んで、一歩ずつ攻略していくものでした。ところがソニックは違う。画面の中を音速のハリネズミが駆け抜けていって、ループをぐるんと回って、坂を転がり落ちるように加速していく。「操作している」というより「疾走感に乗っている」感覚なんですよ。
スーパーマリオとはまったく違うこの疾走感に、ぼくは本当に心を打たれました。気持ちよかった。この「気持ちよかった」という体の記憶が、30年以上たった今でも残っているんだから大したものです。好きだったのは、あのスピード感と、そこに乗っかっていくノリ。理屈じゃなくて、体感のゲームでした。
正直に白状すると、ソニック以外に友達の家で何を遊んだかは、ファミコンの記憶と混ざってしまって、もうわけがわからなくなっています。記憶なんてそんなものですよね。でも、ソニックの疾走感だけは混ざりようがない。あれはメガドライブでしか味わえないものでした。
今のリズムゲーに通じるタイミングの快感〔ぼくの持論〕
ここからはぼくの持論なので、話半分に聞いてください。ソニックの気持ちよさって、今のリズムゲーに通じるものがあると思うんです。
ソニックは速いので、マリオのようにじっくり考えて操作する時間がありません。その代わり、流れの中で「ここだ」というタイミングでボタンを押せたときに、スピードが途切れずにつながっていく。この、タイミングがハマったときの快感って、音楽に合わせてノーツを叩くリズムゲームの快感と、根っこが同じ気がするんですよ。考えて解くんじゃなくて、ノって当てる。1991年の時点でこの気持ちよさを横スクロールアクションでやっていたのは、超画期的だったというのがぼくのイメージです。
ゲームデザインの専門家がどう分析しているかは知りません。あくまで、あの疾走感に心を打たれた元中学生の持論です。でも、同じように感じた人、いませんか?
獣王記と「ゲーセンが家に来た」衝撃
ソニックと並んでもうひとつ、メガドライブで強烈に覚えているのが獣王記です。人間が獣に変身して戦う、あのアーケードゲームですね。当時、ぼくのまわりでは獣王記が流行っていた記憶があります。
獣王記のなにが衝撃だったかというと、ゲームの内容そのものより、「ゲームセンターのゲームが家でやれる」という事実でした。これ、今の感覚だと伝わりにくいと思うんですが、当時のゲーセンのゲームと家庭用ゲームの間には、はっきりとした格差があったんです。ゲーセンのゲームは絵も音も動きも別格で、家庭用に移植されるときは「劣化して当たり前」の時代でした。
50円玉をバンバン投下した、苦くて幸せな記憶
ぼくは獣王記を、まずゲーセンで遊びました。50円玉や100円玉をバンバン投下したのを覚えています。子供の財布にとって、1プレイ50円や100円は大金です。すぐやられて、また入れて、小銭がなくなって指をくわえて画面を見ている。冷静に考えるとお金は溶けていくし、上手くもならないし、苦い思い出のはずなんです。
でも、あれは苦い思い出のなかに幸せだった瞬間なんですよね。薄暗いゲーセンの音と光の中で、コインを入れてスタートボタンを押すあの瞬間の高揚感は、家庭用ゲームでは味わえないものでした。だからこそ、お金が続かないのが本当に悔しかった。
アーケードからわずか半年で家庭用へ——1988年の衝撃
その獣王記が、メガドライブで家で遊べる。調べてみると、獣王記のアーケード版は1988年6月に稼働開始、メガドライブ版は1988年11月27日発売です。メガドライブ本体の発売が1988年10月29日ですから、本体発売の約1か月後には、アーケードの約半年後のタイトルが家庭用で出ていたことになります。
ゲーセンのゲームが半年で家に来る。しかも、当時の子供の目には「ゲーセンのまま」に見えるクオリティで。あの「ゲームセンターのゲームが家でやれる」という画期的な印象は、メガドライブというハードの実力を、いちばんわかりやすい形で見せつけてくるものでした。50円玉が要らないんですよ?あれだけ小銭を吸い込まれた身としては、夢のような話でした。まあ、その夢のマシンはぼくの家には来なかったわけですが。
それにしても、時代は変わりました。あのころは「ゲーセンのゲームが家に来る」だけで大事件だったのに、今はAIと対話するだけで、自分のゲームが作れる時代です。ぼくも実際にClaudeとゲームを作ってみたので、遊ぶ側から作る側に回ってみたい人は、こちらの記事もどうぞ。
今また遊びたいかと聞かれたら——実は、そうは思わない
ここまで読んでくれた方は、ぼくが今すぐメガドラミニ的なものを買ってきて遊びたがっている、と思うかもしれません。買ってもらえなかった思い出があるなら、大人になった今、自分のお金で買えばいいじゃないかと。実は、そうは思わないんです。ここはこの記事でいちばん正直に書きたいところです。
あの初体験は、今ではもう再現できない
冷静に比べれば、画質も音も動きもリアルさも操作方法も、どれをとっても今のゲームのほうが数段上です。それは間違いありません。でも、ぼくがメガドライブに感謝しているのは性能に対してではないんですよね。あの時代、あの空気、あの社会、あのタイミング、あのシチュエーションで、あれだけの初体験をもたらしてくれたことに対してなんです。
友達の家でしか遊べなかったから濃かった。ゲーセンで小銭が尽きる悔しさを知っていたから、家で遊べることが衝撃だった。マリオしか知らなかったから、ソニックの疾走感に心を打たれた。ぜんぶ「あのときのぼく」という条件込みの体験です。今のぼくが同じソフトを起動しても、あの初体験は再現できません。再現できないからこそ、価値があるとも言えます。
レトロ復刻に感じてしまう正直な気持ち
Switchなどでメガドライブのタイトルを見かけると、懐かしいなとは思います。思いますが、正直に言うと、大人の目線では「昔流行ったものに頼らざるを得ないゲームメーカーの事情」のようなものを感じてしまって、少し興ざめしてしまうんです。これはあくまでぼく個人の感じ方で、レトロ復刻を楽しんでいる人を否定する気はまったくありません。むしろ、あの疾走感を今の子供が体験できるのはいいことだと思います。ただ、ぼく自身に関して言えば、思い出は思い出のままでいい。そう思っています。
おもしろいもので、ぼくはミニ四駆には大人になってから復帰したんですよ。同じ「子供のころの憧れ」でも、手を動かして組み立てて走らせるミニ四駆は、大人の今やっても新しい体験になった。一方でメガドライブは、あの初体験そのものが価値だったから、思い出のままがいちばん輝いている。この違い、自分でも発見でした。復帰した側の話に興味があれば、こちらをどうぞ。
まとめ:フアンCEOはお金の恩で、ぼくは思い出の恩で、セガに感謝している
最後にまとめます。2026年7月15日、NVIDIAのフアンCEOは秋葉原で「セガがいなければ今のNVIDIAはない」と語りました。倒産の危機に約500万ドル(時事通信による)の支援を決断してくれた恩。会社の存続がかかった、文字どおり命の恩です。
ぼくのセガへの感謝は、それに比べればずっとささやかです。メガドライブを買ってもらえなかった思い出。友達の家でだけ触れた「高みの存在」。マリオ育ちの体に電撃が走ったソニックの疾走感。ゲーセンの獣王記が家に来た衝撃。どれも所有者の思い出ではなく、憧れた側の思い出です。でも、憧れた側だからこそ、あの輝きは今でも色あせていません。
フアンCEOはお金の恩で、ぼくは思い出の恩で、セガに感謝している。恩のかたちは違っても、30年以上たった今でも「ありがとう」と言いたくなる相手がいるのは、幸せなことですよね。だからこの記事は、買ってもらえなかった側からの、精一杯の恩返しのつもりで書きました。セガさん、あの疾走感を、あの衝撃を、ありがとうございました。

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