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トロン OS 潰された?負けた理由と今も生きている話

トロン OS 潰されたと言われる前の思い出。EPSON PC CLUBの本体とブラザーのドットプリンター、有線マウス、モニターに映るエアーコンバットIIのコックピット画面を再現したイラスト テクノロジー
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「トロン OS 潰された」——最近、そんな言葉をネットで見かけました。ぼくは正直、トロンのことをほとんど知りませんでした。知っていたのは「日航機事故と関係があるらしい」という、都市伝説のうわさだけです。先に結論を書きます。トロンOSはパソコンの主戦場では確かに負けました。でも「潰された」という言葉から想像するような、跡形もなく消えた話ではありません。今も炊飯器や洗濯機、車の中で、ぼくたちの生活を支え続けています。この記事は、その両方を調べた記録です。

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トロン OS 潰された、と最初にぼくが知ったきっかけ

まず、ぼくがトロンという名前をどこで知ったか、正直に書きます。

1985年8月12日、テレビの前にいました

日本航空123便が墜落した1985年8月12日、ぼくは小学生で、父の実家(長野県、御巣鷹山が近い場所です)に帰省していました。テレビでニュースを見ていたのを覚えています。実家の親戚のおじさんがラジオ局に勤めていて、急に呼び出されて出勤していったことも、うっすら記憶に残っています。局名までは分かりません。確認する機会が無いまま今に至っています。

ただし、この時点でぼくは「トロン」という名前を知りませんでした。トロンを知ったのは、都市伝説としてです。「ここ2、30年」のどこかだったと思いますが、正直、いつ・何がきっかけだったかは自分でも覚えていません。

トロンという名前は、都市伝説として知りました

「日航機にトロンの技術者が乗っていて、開発が止まった」という話、聞いたことがある方もいるかもしれません。ぼくもこの話だけを先に知り、トロンそのものについては何も知らないまま長い時間が過ぎていました。この記事の後半で、この都市伝説についてぼくが調べた範囲をきちんと書きます。まずはトロンOS本体の話からいきますね。

トロンOSってそもそも何がすごいんでしょうか

トロン(TRON)は「The Real-time Operating system Nucleus」の頭文字を取った名前です。1984年、当時東京大学の助手だった坂村健さん(現・東京大学名誉教授)が発表しました。1982年の映画「トロン」との関係については、坂村さん本人が「そうでもないし、そうでもある」とはぐらかしていて、明確な関係は無いそうです。

1984年、坂村健さんが無料で公開した国産OS

読売新聞オンラインの記事「日本発の国産OS「トロン」、王者・米国の対抗軸に」によると、坂村さんがトロンを開発したのは、コンピューターがまだ企業の大型設備が主流だった時代です。「超小型コンピューターは今後、あらゆるモノの中に組み込まれるようになる」と坂村さんは考え、その土台になるOSとしてトロンを作りました。そして、技術を囲い込むのが当たり前だった業界の中で、トロンを無料で公開し、誰でも自由に使えて改良もできるようにしたそうです。今でいう「オープンソース」を、当時としてはかなり早い段階でやっていたことになります。

用途で3つに分かれる「トロン」

トロンは1つのソフトの名前ではなく、用途別に枝分かれした規格全体の名前です。ぼくが調べた範囲では、次の3つが主なところでした(出典:ja.wikipedia.org/wiki/TRONプロジェクト、kotobank.jp、weblio.jp)。

  • ITRON(アイトロン):家電・自動車などの組み込み機器向け。今も現役です。
  • BTRON(ビートロン):パソコン向け。今回の記事でいちばん深掘りする、松下電器がパソコンに使おうとしたのがこちらです。
  • CTRON(シートロン):電話交換機など通信インフラ向け。NTTが採用していました。

坂村さんがトロン計画を発表すると、富士通・日立製作所・三菱電機・NECといった日本メーカーの技術者たちが続々と参加し、家電などに搭載し始めます。その中で、トロンを使ってパソコンを開発しようとした企業が松下電器産業(現パナソニックホールディングス)でした。マイクロソフトのOSでのパソコン開発に出遅れていた松下電器が、国産OSで巻き返そうと考えたのがきっかけだったそうです。

気になる方は、坂村さん自身がトロン構想の狙いをまとめた新書もあります。

ぼくが子どもの頃使っていたのは、実は「トロンに勝った側」でした

ここで少し、ぼく自身の話をさせてください。トロンの歴史を調べていて、いちばん驚いたのがこの部分でした。

EPSON「PC CLUB」とエアーコンバットII

ぼくが初めて自分で触ったパソコンは、EPSONの「PC CLUB」(PC-286C、1990年発売)でした。NECのPC-9801互換機で、キーボード一体型、80286を10MHzで動かすCPU、3.5インチのフロッピードライブが2基。モニターは別体の14インチCRTでした。よく遊んでいたのは「エアーコンバットII」(システムソフト、1991年、PC-9801/FM TOWNS対応)というフロッピーで動くゲームです。似た名前でナムコの「エースコンバット」(PS1、1995年〜)がありますが、こちらは全くの別会社・別シリーズで、ぼくは長いこと記憶の中で混同していました。周辺機器は、ブラザー製のドットインパクトプリンター(B4サイズ対応、連続用紙)、40MBの外付けハードディスク、有線の2ボタンマウス。今思えば、かなり気合いの入った構成で遊んでいたと思います。

トロン OS 潰されたと言われる前の思い出。EPSON PC CLUBの本体とブラザーのドットプリンター、有線マウス、モニターに映るエアーコンバットIIのコックピット画面を再現したイラスト

実は敵陣営のマシンで遊んでいたと知って

調べていて分かったのですが、PC-9801系列は、トロン(BTRON)がパソコン市場で最後まで勝てなかった相手そのものだったんです。つまりぼくが子どものころ夢中で遊んでいたPC CLUBは、トロン側ではなく、トロンに勝った側のマシンでした。正直、これを知ったとき「トロンがこの時点で負けてるなら、大したことないのかな」と思ってしまいました。でも、このあと調べていくと、その感想は半分正しくて半分違っていました。詳しくはこのあとに書きます。

トロンOSは、実は今もいちばん身近なOSかもしれません

パソコンの主戦場では負けたトロンですが、視点を変えると話がまったく違ってきます。

家電・車の中で、今も動き続けています

ITRON(組み込み機器向けのトロン)は、炊飯器・洗濯機・コピー機・FAX・電子楽器・ロボットなど、様々な機器に搭載されてきました。トヨタの車載用OSとしても採用されています。ITRON協会(現・トロンフォーラム)が「複数の処理を同時に、順序よく切り替えて実行するための共通API(呼び出し方の決まりごと)」を仕様として定め、日立・東芝・NEC・富士通・トヨタといった各メーカーが、その仕様に従って自社のチップ向けに実装する、という仕組みです。実際のプログラムはC言語などで各社がそれぞれ書きます。共通なのは「役割・呼び出し方」で、コード本体は各社バラバラなんです。

身近な例で言うと、家の中のスマート家電やネットワーク機器も、必ず何かしらのファームウェア(機器の中で動く小さなOS)で動いています。以前、自宅のルーターの中身を調べた記事を書いたんですが(TP-Link ルーター 危険性を自宅で調べてみた|証拠はないが警戒すべき理由があった)、ああいう機器の中でもITRONのような組み込みOSが動いている可能性があります。スマート家電のハブのような機器も同じで、便利さの裏には必ずこうした小さなOSが動いています(値上げ前のSwitchBotハブミニを調べた記事もあります)。

TP-Link ルーター 危険性を自宅で調べてみた|証拠はないが警戒すべき理由があった
「TP-Link ルーター 危険性」を、自宅でTP-Link製ルーターを使う立場から調べました。バックドアが実際に見つかったのは別会社ですが、TP-Linkにはテキサス州の提訴やFCCの措置など別の懸念が向けられています。証拠が無いことと警戒すべき理由があることは別軸だと考えを整理した記録です。
SwitchBot値上げ前夜、ハブミニと欲しいものを棚卸し
SwitchBotが8月1日から25製品を値上げします。値上げ前日に、ぼくの自宅にあるSwitchBotとTapoの実機を棚卸しし、次に欲しいAIステーション的な製品まで正直に書きました。

ITRONと、ぼくたちが普段パソコンで使うWindowsのようなOSとの違いも面白いところでした。人間とのやりとりの機能がほぼ無いこと、プログラムの規模が桁違いに小さいこと、決まった時間内に必ず処理を終える「リアルタイム性」が強く求められること、そしてパソコンという1種類の機器ではなく、何千種類もの機器で個別に実装されること。この4つが大きな違いだそうです。スマホアプリの土台になっているAndroidとも仕組みが違っていて、Androidは完成した共有コードそのもの(AOSP)を各社が配ってカスタマイズする方式なのに対し、ITRONは仕様だけを配って、各社が実装コードを一から書く方式。非力な小型チップにも最適化して積みやすい、というのがITRON方式の利点だそうです。この「土台になる基盤」という考え方は、これからのAIエージェントがどう動くかという話にもつながる気がしていて、以前AIエージェントとフィジカルAIの違いは?スカイネットで考えたという記事でも近いことを考えました。

「世界シェア1位」の数字、鵜呑みにしていいのか

調べる中で「2003年時点でOSシェア世界1位」という情報にも行き当たりました。ただ、これはトロン側の発表がもとになっている可能性が高く、第三者が検証した数字かどうかまでは、ぼくには確認できませんでした。すごい数字ではありますが、そのまま鵜呑みにするのは避けたいと思います。

この「あらゆるモノに組み込まれる」という発想を一般向けに書いた坂村さんの新書もありました。興味のある方はどうぞ。

では、なぜパソコンの主戦場でトロン OS 潰されたと言われるのか

ここが、いちばん調べていて印象に残った部分です。結論から書くと、負けた理由は技術力の問題ではありませんでした。

技術的には評価されていました

BTRON(パソコン向けのトロン)は、当時のコマンド入力が主流の時代に、マウスでアイコンをクリックする現代的なGUI操作性をすでに実現していて、完成度は高く評価されていたそうです。家電メーカーからも処理性能・設計の一貫性が評価されていました。「未完成だったから普及しなかった」という説明を見かけることもありますが、これは不正確な情報でした(出典:sumaholife-plus.jp等、複数のIT系メディアの解説記事)。

通産省の後押しから、アメリカの通商圧力まで

Wikipedia「TRONプロジェクト」の記述をもとに時系列を並べると、こうなります。

  • 1987年9月:通産省がBTRONを教育用パソコンの標準にする方針をメーカーに提示
  • 1988年9月:米国通商代表部(USTR)が「松下だけを優遇するのは不公正」と指摘
  • 1989年4月:USTRがBTRONをスーパー301条の制裁候補に指定
  • 1989年6月:CEC(コンピュータ教育開発センター)がBTRON統一を事実上断念

スーパー301条は、1988年の米国包括通商法で新設された制度です。通常の通商法301条(不公正な貿易慣行への協議・制裁規定)の強化版で、対象国・分野を名指しして交渉し、決着しなければ関税等で報復する仕組みでした(1989〜90年の時限立法)。

敗因をまとめると、①教育現場がすでにPC-9801とN88-BASICで自作教材ソフトの資産を持っていたこと、②松下以外のメーカーの本気度不足、③アメリカの貿易圧力(スーパー301条)、という複合的な事情でした。ぼくが子どものころ夢中で遊んでいたPC-9801系列(PC CLUB)は、まさにこの「①すでに資産があった側」のマシンだったわけです。技術で負けたのではなく、周辺事情に押し切られた、というのが実態に近そうでした。

実践派の方には、ITRONのような組み込みOSを自分の手で動かしてみる入門書もおすすめです。

「日航機にトロン技術者が乗っていた」という都市伝説を整理します

最後に、この記事の入り口だった都市伝説に戻ります。「日航123便にトロン技術者17人が搭乗し死亡した」という話は、2008年頃にネットで生まれたとされています。

調べて分かったこと

まず、松下電器グループの社員17人(家族6人を含む)が、日本航空123便で亡くなっているのは事実で、これは複数の情報源で一致していました。ただ、その先の「トロン開発の技術者だった」という部分は、調べていくと違いました。その17人は「トロン開発の技術者」ではなく、単に松下電器グループに所属する社員だったんです。この点も複数の情報源(個人ブログ、SNS上の指摘)で一致していますし、トロン開発への実質的な影響も確認されていません。日本語版Wikipedia「日本航空123便墜落事故」の著名な犠牲者一覧を見ても、トロン関係者・坂村健さん・松下電器関係者の記載はありませんでした。つまり「17人が乗っていた」までは本当で、「その17人がトロンの技術者だった」というところが、話が広がる中でくっついてしまった部分だったようです。

ただし、正直に書いておきます。ここまでの都市伝説の検証は、いずれも後年の個人ブログやSNS上の検証・まとめ(二次情報)が一致している、という確からしさです。当時の新聞や事故調査報告書、搭乗者名簿といった一次資料までは、ぼくの手元では確認できませんでした。「17人搭乗」の事実と「トロン技術者だった」という誤りは、それぞれ確度が違う話として受け止めてもらえたらと思います。

まとめ:パソコンでは負けても、トロンOSは見えないところで生きている

調べる前のぼくは「トロン OS 潰された」という言葉だけを知っていて、都市伝説の暗いイメージしか持っていませんでした。でも実際に調べてみると、話はもう少し複雑でした。

  • トロンOS(BTRON)はパソコンの主戦場で確かに負けました。ただし原因は技術力ではなく、教育現場の既存資産・本気度不足・アメリカの貿易圧力という周辺事情でした。
  • 「日航機にトロン技術者が乗っていた」という話は、17人が亡くなった事実と、彼らが技術者だったという誤りが混ざったものでした。
  • そして、ITRONという枝分かれしたトロンは、炊飯器や洗濯機、車の中で、今もぼくたちの生活を支え続けています。

ぼくが子どものころ夢中で遊んでいたPC CLUBは、トロンに勝った側のマシンでした。でも、その裏で「見えないところ」のトロンは、今もぼくたちのすぐそばで動いています。トロンOSは、実は今もいちばん身近なOSの1つなのかもしれません。

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