
2025年の夏、ぼくにとっての「宝島」が、ある日突然、地図の上から消えてしまいました。埼玉県川越市にあった老舗の模型店「ケイ・ホビー」。そのシャッターが二度と上がることはないと知ったのは、閉店当日のことでした。X(旧Twitter)のタイムラインは阿鼻叫喚に包まれ、「夜逃げじゃないか」という厳しい言葉まで飛び交う事態に。多くの人が悲しみ、怒り、そして混乱していました。ですが、ぼくの心に引っかかっていたのは、そんなネット上の喧騒とは少し違う、ある記憶でした。実は、閉店のわずか48時間前、ぼくは息子の手を引いて、確かにあのお店にいたのです。そこで見た光景は、およそ「夜逃げ」という言葉とは結びつかない、あまりにも日常的で、温かいものでした。あの日の店員さんたちの笑顔の裏には、一体どんな真実が隠されていたのでしょうか。これは、一つの大好きなお店の終焉を巡る、ぼく自身の探求の記録です。
青天の霹靂、2025年8月19日
いつもと同じようにスマートフォンでXのタイムラインを眺めていた、ごく普通の日の午後でした。そこに流れてきた一件の投稿が、ぼくの日常を根底から揺るがしたのです。長年通い続けた、あのケイ・ホビーが、まさに「今日」、閉店するという信じられない知らせ。何かの間違いか、あるいは悪質ないたずらであってほしい。そんな淡い願いも虚しく、その衝撃は瞬く間にネット中を駆け巡り、悲しみと怒りの渦が巻いていくのを、ぼくはただ呆然と見つめることしかできませんでした。
タイムラインに流れた「閉店のお知らせ」
すべての始まりは、ケイ・ホビーの公式Xアカウント「@_khobby_」から投じられた、あまりにも短い、そして無慈悲な一文でした。
【閉店のお知らせ】 いつもケイホビーをご利用いただき、誠にありがとうございます。 誠に勝手ながら、当店は2025年8月19日をもちまして、閉店させていただきます。 長きに渡り、多くのお客様にご愛顧いただきました事を心より感謝申し上げます。 誠にありがとうございました。
時刻は午前10時55分。多くの人がまだ仕事や学校にいる時間です。閉店セールの予告も、感謝を伝えるイベントの告知も、何もありませんでした。ただ事実だけを伝えるその投稿は、あまりにもビジネスライクで、長年のファンが抱いてきたお店への愛情との温度差を感じさせるものでした。もちろん、タイムラインはすぐにこの話題で埋め尽くされます。「え、嘘でしょ?」「先週行ったばかりなのに…」「何かあったんですか!?」といった驚きと動揺の声が、リポストや引用という形で瞬く間に拡散していきました。ぼく自身、何度も投稿を読み返しましたが、そこに書かれている文字は変わりません。夢であってくれと願いながらも、これが厳しい現実なのだと、徐々に理解せざるを得ませんでした。
「夜逃げじゃないか」飛び交う憶測と批判
驚きが混乱に変わるのに、そう時間はかかりませんでした。閉店当日まで告知がなかったという異常事態に、多くの人が疑問を抱き始めたのです。「閉店するなら、せめて一言前に言ってくれれば…」「予約してた商品はどうなるの?」「修理に出してたエアガンは…?」といった、具体的な不安の声が上がり始めます。そして、その不安は次第に怒りへと変わっていきました。
特に批判の的となったのが、顧客への対応が一切示されなかったことです。閉店セールによる在庫処分もなく、予約金や預かり品に関するアナウンスも皆無。この一方的なやり方に対し、「実質夜逃げじゃないか」「あまりにも不誠実だ」という厳しい言葉がタイムライン上に飛び交いました。
ユーザーの主な反応 | 内容 |
驚きと悲しみ | 「嘘だと言って…」「子供の頃から通っていたのに」 |
怒りと批判 | 「夜逃げ同然」「予約品を返してほしい」 |
憶測 | 「経営難だったのか」「何かトラブルがあったのでは」 |
もちろん、経営には様々な事情があるのでしょう。しかし、長年お店を愛し、商品を予約し、大切な品を預けていた顧客からすれば、あまりにも唐突で、あまりにも一方的な別れでした。お店と顧客との間にあったはずの信頼関係が、音を立てて崩れていくような感覚。そのやり方に対して厳しい声が上がるのは、ある意味で当然のことだったのかもしれません。
失われた「聖地」を悼む声
ですが、タイムラインは怒りと批判だけで埋め尽くされていたわけではありません。それと同じくらい、いや、それ以上に多かったのが、失われた「聖地」を純粋に悼む声でした。ケイ・ホビーは、単なる模型店ではありませんでした。ミニ四駆、サバイバルゲーム(サバゲー)、ラジコン、プラモデル…それぞれのジャンルを愛する者たちにとって、そこは仲間と集い、情報を交換し、腕を競い合うコミュニティの中心地だったのです。
「サバゲーを始めたのはケイ・ホビーがあったから。ここで買った銃は宝物です」「ミニ四駆のコースで出会った仲間たちとは今でも付き合いがある。あの場所がなくなるなんて…」「ラジコンのパーツで困った時、いつも親身に相談に乗ってくれた店員さん、ありがとう」。そんな、個人の思い出に根差した感謝と惜別の言葉が、数えきれないほど投稿されていました。特に、ミニ四駆の常設コースやサバゲーのフィールド運営など、ただ商品を売るだけではない、ホビー文化そのものを育んできたお店の功績を称える声が多かったのが印象的です。ぼくにとっても、息子にミニ四駆の楽しさを教える場所として、かけがえのない空間でした。多くの人にとって、ケイ・ホビーは青春そのものであり、人生の一部だったのです。その喪失感の大きさは、計り知れません。
本当に「予兆」はなかったのか?
あまりに突然の出来事に、誰もがこう思ったはずです。「本当に、何の予兆もなかったのだろうか?」と。閉店という大きな決断が、ある日突然、何の準備もなく行われるとは考えにくい。きっと何か、後から振り返れば「あれがサインだったのか」と思えるようなことがあったはずだ。ぼくもそう考え、わずかな望みを託して、公式アカウントの過去の投稿を必死に遡ってみました。すると、当日は気にも留めていなかったいくつかの投稿が、今となっては全く違う意味を帯びて、ぼくの目に飛び込んできたのです。
水面下で進んでいたかもしれない在庫整理
閉店から遡ることわずか3日、2025年8月16日の投稿。そこには「廃盤品のデッドストック放出!!」という文字が躍っていました。紹介されていたのはエアガンのカスタムパーツで、価格は「最終放出価格」として通常の半額近い値段がつけられていました。その時は「お得なセールだな」「掘り出し物があるかも」くらいにしか思わなかったでしょう。しかし、閉店という結末を知った今、この「最終放出」という言葉は、非常に重く響きます。これは、単なるセールではなく、閉店に向けた在庫の現金化、つまり資産整理の一環だった可能性が考えられます。
また、8月上旬には、カスタムされた中古エアガンを「#注目中古品情報」というハッシュタグ付きで複数回にわたって紹介していました。これも、新品の仕入れを抑制し、利益率が高く回転の速い中古品の販売に力を入れることで、少しでも手元の資金を増やそうとしていた動きだったのかもしれません。もちろん、これら一つ一つは、通常の店舗運営の範囲内で行われるセールや商品紹介とも言えます。ですが、閉店間際に集中していたことを考えると、水面下で静かに、しかし着実に「終わりの準備」が進められていたのではないか。そんな風に思えてなりませんでした。
相次ぐイベントの変更と中止の謎
ケイ・ホビーの魅力の一つは、店舗主催のイベントが非常に活発だったことです。特にミニ四駆の「ナイトレース」や「ざりチャレ」と呼ばれるタイムアタック企画は、多くのレーサーで賑わっていました。しかし、過去の投稿をよく見てみると、そのイベント運営にも少しずつ綻びが見え始めていたように感じられます。
例えば、8月10日の投稿では、20日に予定されていたナイトレースが「急遽私用が入った為に中止とさせていただきます」と告知されています。また、その翌日には、別のミニ四駆イベントの予定変更が告げられていました。もちろん、店舗スタッフにだってプライベートな用事はありますし、予定変更自体は珍しいことではありません。当時は、多くの人が「店員さんも大変だな」「お疲れ様です」くらいにしか思わなかったはずです。
しかし、これも今にして思えば、単なる「私用」ではなかったのかもしれません。閉店に向けた煩雑な手続きや、人員整理など、公にできない事情が背景にあった可能性も否定できないのです。あるいは、すでに一部のスタッフが退職し、イベントを運営するだけの人員が確保できなくなっていたのかもしれません。安定した店舗運営が少しずつ困難になっていた、その悲鳴が、「急な変更」という形で現れていたのだとしたら…。考えすぎだと思いたいですが、そうした可能性を完全に拭い去ることはできませんでした。
プラモデル部門の売却という大きな伏線
そして、最大の「予兆」と言えるのが、実は本店の閉店に先立つこと約9ヶ月前、2024年11月25日に起きていた出来事です。この日、ケイ・ホビーのプラモデル部門は、別法人である「T-BASE」という会社に事業譲渡され、プラモデル専門店として再出発していました。
当時、このニュースに触れた多くのファンは、「プラモデル部門は専門店に任せて、本店はミニ四駆やエアガンに集中するのかな」「事業の選択と集中だね」と、前向きに捉えていました。ぼく自身も、それぞれの専門店が切磋琢磨することで、より良いサービスが提供されるようになるのかもしれない、と楽観的に考えていました。しかし、今となっては、これが事業全体の縮小、いわば「終わりの始まり」だった可能性が極めて高いと言わざるを得ません。
体力のあるうちに不採算部門や管理の難しい部門を切り離し、経営のスリム化を図るというのは、企業戦略としては定石です。つまり、この時点でケイ・ホビー本体の経営状況は、すでに決して安泰ではなかったのかもしれません。T-BASEの公式サイト(https://t-base.jp/)は現在も運営されており、プラモデルファンにとっては救いとなっていますが、この事業譲渡が、ケイ・ホビー本店に残された時間が残り少ないことを示す、最も大きなサインだったのだと考えると、複雑な気持ちになります。
店の顔だった「ざりさん」とスタッフたち
こうした経営上の予兆があった一方で、SNSでの発信からは、そんな危機感を微塵も感じさせることはありませんでした。その最大の理由は、情熱あふれるスタッフたちの存在です。ケイ・ホビーの魅力は、品揃えや施設の充実だけではありませんでした。各ジャンルに精通し、心からホビーを愛するスタッフたちが、その魅力を日々発信し続けていたのです。
その代表格が、ミニ四駆部門を担当していた「ざりさん」です。彼の企画するイベント「ざりチャレ」は多くのファンを惹きつけ、Xの投稿や動画では、マシンのセッティングについて楽しそうに語る姿が頻繁に見られました。また、エアガン部門の「スケキヨさん」は、専門的な知識とユーモアを交えたブログ記事で、多くのサバゲーファンから信頼を得ていました。
彼らの発信する言葉からは、ホビーへの深い愛情と、ファンに楽しんでもらいたいという純粋な気持ちしか伝わってきません。閉店の数日前まで、彼らはいつもと変わらず、イベントの告知をし、新製品の紹介をし、ファンとの交流を楽しんでいました。もし、彼らが閉店の事実を知っていたとしたら、あんなにも自然に、あんなにも楽しそうに振る舞うことができたでしょうか。この疑問こそが、ぼくが閉店の真相に迫る上で、最も重要な鍵となっていったのです。
閉店48時間前、ぼくが店で見た光景
ネット上に溢れる情報や憶測だけを眺めていても、本当のことは何も分かりません。画面の向こう側には、それぞれの人の感情や生活があるはずです。ぼくがこの一件に強く心を揺さぶられたのには、理由があります。実は、あの衝撃的な閉店告知がなされる、わずか48時間前。2025年8月17日の日曜日の午後、ぼくはミニ四駆を始めたばかりの息子の手を引いて、ケイ・ホビーのプレイゾーンにいたのです。そこで見た光景、感じた空気。それら全てが、ネットで囁かれる「夜逃げ」という言葉とは、あまりにもかけ離れたものでした。あの日の記憶こそが、この謎を解き明かす最大のヒントだと、ぼくは確信しています。
来週の約束を交わす常連客たち
日曜の午後のプレイゾーンは、いつも通り熱気に満ちていました。常設された立派なミニ四駆のコースの周りには、自慢のマシンを手に、多くのレーサーたちが集っています。子供から大人まで、年齢も職業もバラバラな人々が、ただ「ミニ四駆が好き」という一点で繋がり、和気あいあいと語り合っている。これこそが、ケイ・ホビーが長年育んできたコミュニティの姿でした。
ぼくが特に印象に残っているのは、ベテランと思しき常連客の男性の存在です。彼はミニ四駆にとても詳しく、店員のざりさんとも親しげな様子でした。その方が、ぼくたち親子に対して「また来週の日曜日も来るから会えるのが楽しみだね」という趣旨の話を、とても気さくに話してくれたのです。初めて来たばかりのぼくたちを温かく迎え入れてくれる、そんなコミュニティの優しさに触れた瞬間でした。彼自身も、そしてぼくたちも、来週この場所が当たり前に存在することを微塵も疑っていませんでした。あの場所に流れていたのは、「終わり」の空気などではなく、どこまでも続く「日常」の空気、そのものだったのです。
胸に「若葉マーク」を付けた店員さん
プレイゾーンで一頻り遊んだ後、ぼくは息子が欲しがったパーツを買うためにレジへ向かいました。そこでぼくたちの対応をしてくれたのは、推定65歳くらいの、白髪交じりの男性店員さんでした。彼の胸元には、研修中であることを示す「若葉マーク」が付けられていました。
彼の声は少し緊張しているようでしたが、一つ一つの所作が非常に丁寧で、商品を大切に扱っているのが伝わってきました。バーコードを読み取る手つき、袋詰めの仕方、お釣りの渡し方。その全てが、まるでマニュアルを完璧に守ろうとするかのような、誠実さに満ちていました。きっと、新しい職場で一日も早く役に立ちたいと、一生懸命頑張っておられたのでしょう。
この光景は、ぼくの心に深く刻まれました。考えてみてください。あと2日で全てを投げ出して「夜逃げ」するつもりの店が、新しいスタッフを、それも人生の大ベテランと言えるような方をわざわざ採用し、コストと時間をかけて一から研修を行うでしょうか?絶対にありえません。彼の存在そのものが、この店が「これからも続いていく」はずだったことの、何より雄弁な証拠でした。彼の誠実な働きぶりを見るにつけ、閉店のシナリオとはあまりにも矛盾していると、強い違和感を覚えずにはいられませんでした。
息子に向けられた「ざりさん」の純粋な笑顔
そして、この記事を通じてぼくが最も伝えたかった、忘れられない光景があります。レジを済ませ、もう一度プレイゾーンに戻った時のことです。息子は、買ってもらったばかりのパーツを早速取り付けようと、慣れない手つきで小さなドライバーを握りしめていました。なかなか上手くいかず、少し悔しそうな顔をしていた、その時です。
コース脇で他の常連さんと話をしていた「ざりさん」が、ぼくたちのそばを通りすがりに、ふと息子の姿に気づいてくれました。そして、足を止めて、わざわざ「(改造を)頑張ってね」と、にこにこと声をかけてくれたのです。その笑顔には、一点の曇りもありませんでした。打算や計算、あるいは何かを隠しているような影は、微塵も感じられませんでした。そこにあったのは、一人の子供がホビーを通じて成長していく姿を心から喜び、その楽しさを伝えたいと願う、純粋な情熱だけでした。あと48時間後には全てが無くなることを知っている人間が、未来ある子供に対して、こんなにも真っ直ぐで、温かい笑顔を向けることができるでしょうか。ぼくには、到底そうは思えませんでした。あの笑顔は、本物でした。そして、その笑顔こそが、この閉店劇の裏に隠された真実を、静かに物語っているように感じられたのです。
導き出された結論と、残された大きな謎
閉店前の店内で目撃した三つの光景。それらを頭の中で何度も反芻するたびに、ぼくの中で一つの確信が形作られていきました。ネット上で囁かれていた「夜逃げ」という言葉は、少なくとも、あの日あの場所にいた彼らには、決して当てはまるものではない。彼らは何も知らなかったのだ。だとすれば、一体、あの閉店劇の裏で何が起きていたというのでしょうか。ぼくの体験と、閉店後に明らかになった情報を繋ぎ合わせることで、悲しい一つの仮説が浮かび上がってきました。
店員すら「知らなかった」…いや、「知されていなかった」
ぼくがあの日の店内で感じた「これからも続いていく日常」の空気。それは、まぎれもなく本物でした。来週の約束を交わす常連客、一生懸命に働く新人研修中の店員さん、そして子供に純粋な笑顔を向けるざりさん。彼らの誰一人として、48時間後に自分たちの職場が、そして愛するコミュニティが消滅することなど、夢にも思っていなかったはずです。
これはもはや単なる「推測」ではありません。あの場の空気を肌で感じた者としての、偽らざる「証言」です。彼らは、最後の瞬間まで、いつもと同じように顧客を迎え入れ、ホビーの楽しさを伝え、この場所を守るために誠実に働き続けていました。つまり、今回の閉店は、現場のスタッフたちにとってはまさに青天の霹靂であり、彼ら自身もまた、突然日常を奪われた「被害者」だったのではないか。ぼくはそう結論付けざるを得ませんでした。彼らは何も「知らなかった」。もっと正確に言うならば、意図的に「知されていなかった」のです。
閉店当日、彼らに何が起きたのか
この仮説を裏付けるかのように、閉店後、X上には衝撃的な情報が流れ始めました。それは、複数の異なる人物から、ほぼ同じ内容で投稿されたものでした。
「関係者から聞いた話だけど、従業員の人たちも、閉店は19日の朝に初めて知らされたらしい」 「今日の朝、店長から話があって、従業員は私物だけ回収して、そのまま解散になったそうだ」 「店員さんも店内には入れなかったみたい。本当に突然だったんだな…」
これらの情報源の真偽を完全に確かめる術はありませんが、複数の独立したアカウントから同様の報告がなされていること、そして何より、ぼくが閉店直前に見た店内の光景と完全に符合することを考えると、その信憑性は極めて高いと言えるでしょう。この情報が事実だとすれば、あまりにも残酷です。長年お店に尽くしてきたスタッフたちが、顧客への説明や挨拶をする機会さえ与えられず、まるで放り出されるかのように職場を追われたことになります。それは、顧客への裏切りであると同時に、共に店を支えてきたはずの従業員に対する、あまりにも非情な仕打ちではないでしょうか。
なぜ、こんな結末を迎えなければならなかったのか
では、なぜ経営陣は、このような強硬な手段を取らなければならなかったのでしょうか。プラモデル部門の先行売却などから、経営が厳しい状況にあったことは想像に難くありません。しかし、そうだとしても、なぜもっと穏便な形で店を閉じることができなかったのか。なぜ、長年店を支えてきたスタッフや、商品を予約し信頼を寄せていた顧客に対して、誠実な説明と謝罪をする時間さえ設けられなかったのか。
ここから先は、完全な推測の領域です。もしかしたら、事前に閉店を告知することで、債権者が殺到したり、混乱が生じたりすることを恐れたのかもしれません。あるいは、経営者自身が精神的に追い詰められ、誰にも相談できないまま、このような形で幕引きをするしか選択肢がなかったのかもしれません。我々部外者には計り知れない、やむにやまれぬ事情があった可能性も否定はできません。ですが、それでも、この結末はあまりにも悲しく、後味が悪すぎます。多くの人が愛した「聖地」の最期が、なぜこんなにも多くの謎と痛みを残す形で迎えられなければならなかったのか。その本当の理由は、今もなお、厚いベールの向こう側に隠されたままです。
ケイ・ホビーのシャッターが、もう二度と開くことはないでしょう。思い出の詰まったあの建物も、いつかは取り壊され、新しい景色に変わっていくのかもしれません。
ですが、ぼくの記憶の中では、今もミニ四駆の甲高いモーター音が鳴り響き、たくさんのレーサーたちの歓声が聞こえています。そして、少し困った顔をしている息子のそばには、あの日のままの、優しい笑顔を浮かべた「ざりさん」が立っています。
今回の出来事を通じて、ぼくは一つの店の終焉の裏にある、たくさんの人々の思いを知りました。そして、失われたものの本当の大きさを、改めて痛感しています。あの笑顔の価値を、あの場所が育んできた温かいコミュニティの尊さを、ぼくは決して忘れないでしょう。
願わくば、あの日、突然未来を奪われてしまったスタッフの方々が、どこか新しい場所で、再びその情熱を輝かせられる日が来ることを。
そして、いつかミニ四駆を卒業するであろう息子が大人になった時、ぼくはこの日の話を伝えたいと思っています。かつて川越という街に、子供たちの夢と大人たちの情熱が詰まった、こんなにも温かい「宝島」があったのだと。そして、その最後の輝きを、お前と一緒この目で見届けたのだ、と。
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