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ケイ・ホビー閉店後の「聖地巡礼」と、シャッターの奥に見えた「希望の光」

ケイ・ホビー プレイランド ミニ四駆 K-HOBBY AIで調べてみた
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ケイ・ホビーの突然の閉店に揺れたあの日から、ぼくの心の中では一つの問いがずっと渦巻いていました。「本当に、このまま全てが失われてしまうのだろうか?」と。あの場所に集っていた人々の熱量、そしてざりさんをはじめとするスタッフの方々の深い知識と愛情。それらは、簡単に消えていいものではないはずです。これは、単なる感傷論ではありません。大好きなお店だったからこそ、なんとか再建できないものか。そんな妄想と希望を胸に、一人のファンとして、失われた「宝島」への帰路を本気で探求してみたいと思います。これは、絶望の淵から「IF」の未来をたぐり寄せる、ただの一個人の思考の記録です。

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聖地巡礼:ファンたちが求める「心の拠り所」

突然の別れには、心の整理が追いつきません。SNSやニュースで「閉店」の文字を見ても、どこか現実感がない。本当に、あの活気に満ちた場所はもうなくなってしまったのか。自分の目で確かめなければ、前に進めない。そんな想いを抱えたファンたちが、閉店後のケイ・ホビーへと、まるで聖地を巡礼するかのように足を運び始めています。それは、大好きだった場所への、ファン一人ひとりの弔いの儀式であり、自分自身の心に一つの区切りをつけ、新たな拠り所を探すための、切実な旅路なのです。

タイムラインに流れる「行ってきました」報告

閉店から6日が経った8月25日、あるユーザーがXに投稿した言葉は、多くのファンの気持ちを代弁していました。

ケイホビーの閉店で ずーっとモヤモヤしっぱなしだったので ケリを付けに来た。

(出典:https://x.com/makotonohobby/status/1959837669225316553

この「モヤモヤ」という言葉。言い得て妙です。悲しい、寂しい、悔しい、そして、なぜ?という疑問。様々な感情が渦巻いて、言葉にならない状態。それを解消するために、わざわざ現地まで足を運び「ケリを付けに来た」という行動に、ぼくは強く心を揺さぶられました。思い出が多ければ多いほど、別れのプロセスは簡単ではないのです。ただシャッターが閉まった店舗の写真を撮る。その行為自体に大きな意味があるわけではないのかもしれません。しかし、自分の目で現実を確かめ、在りし日の賑わいを偲び、心の中で「ありがとう」と呟く。その一連の行動を経て、ファンたちは少しずつ、この大きな喪失を受け入れ、次の一歩を踏み出そうとしているのではないでしょうか。

あの日の静けさと、貸し切りのコース

ぼく自身、この「聖地巡礼」に、近いうちに行かなければならない、と思っています。なぜなら、閉店のわずか9日前、8月16日のあの日の光景が、今も鮮明に記憶に残っているからです。

この写真はまだまだ慣れない息子が、不器用に、そして一生懸命ミニ四駆を調整している後ろ姿。これ、ミニ四駆を初めて数日ぐらいの時なんです。。ゲームばかりやっていた息子が自分の頭で考えて手を動かしてミニ四駆を改造することに夢中になっていました。ぼくもすごく嬉しく驚きました。

ケイ・ホビー プレイランド ミニ四駆 K-HOBBY

その日にぼくが息子と訪れた時の、プレイゾーンの様子です。夏休みの土曜日でしたが、時間帯のせいか、ミニ四駆のプレイゾーンは驚くほどに静かでした。コースを独り占めする形で、ぼくの息子だけが夢中になってマシンを走らせていたのです。広い店内に響くのは、息子のミニ四駆のモーター音と、コースの壁にマシンが当たる乾いた音だけ。それはそれで、とても贅沢な時間でした。この素晴らしいコースを、この空間を、親子二人で貸し切りにしている。そんな特別な感覚に浸っていました。この写真を見ると、あの日の静かで、穏やかで、それでいて満たされた時間がすぐそこにあるような気がして、今の完全な静寂とのコントラストに、寂しさが一層募ります。だからこそ、ぼくも自分の足であの場所へ行き、この温かい思い出に、一つの区切りをつけたいのです。

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全国から届く、閉店を惜しむ声

この聖地巡礼というべき行動は、地元ファンだけのものではありません。ケイ・ホビーという存在が、いかに広く、深く、多くのホビーファンに愛されていたか。閉店後のタイムラインには、その証となる声が全国から寄せられています。

ケイホビー 大阪のど田舎暮らしの僕でも知ってる ミニ四駆好きには有名なお店が 急に閉店した

(出典:https://x.com/pigsandeath/status/1959800285892911150

遠く離れた大阪のミニ四駆ファンでさえ、その名を知るほどの有名店。それは、ケイ・ホビーが単なる地域のお店ではなく、日本のホビー文化の一翼を担う、まさに「聖地」であったことの証明です。また、こんな声もありました。

川越のケイホビー閉店か サバゲーの小物でお世話になりました 10年くらい前は夏にサバゲー行ったな 今では考えられない

(出典:https://x.com/ST2mPtE2Uf8KUVp/status/1959915931468976595

10年前の夏の思い出。今では熱心なファンではなくても、青春の一ページに、確かにケイ・ホビーが存在していた。そんなライトなファン層からの惜別の声もまた、この店がどれほど長い時間、多くの人々の人生に寄り添ってきたかを物語っています。


シャッターの奥に見えた「希望の光」

多くのファンが、それぞれの想いを胸に、静かになった店舗の前で別れを告げる。物語は、このまま静かに、そして少し寂しく終わっていくかに見えました。しかし、ある夜、現地を訪れた一人のファンが目撃した光景が、この沈んだ空気に、温かい光を投げかけることになります。それは、これまでの悲しい憶測を吹き飛ばす、未来への希望を感じさせる光景でした。

払拭された、一番悲しい憶測

その心温まるツイートがこちらです。

ケイホビーは店長が夜逃げとか憶測が流れてるが少しずつ整理していってる感じやね。 今日も夕方というか夜というか奥の電気ついてたし💡 ̖́-

(出典:https://x.com/07_type/status/1959918262218842341

「夜逃げとか憶測が流れてるが」「少しずつ整理していってる感じ」。そして、「奥の電気がついてた」。 この短い文章が、どれほど多くのファンの心を安堵させたことでしょう。もし本当に、全ての責任を放棄する「夜逃げ」だったとしたら、誰がわざわざ夜の店に戻り、電気をつけ、思い出の詰まった場所を片付けるでしょうか。この目撃情報は、ケイ・ホビーの閉店が、無責任な事業放棄ではなかった可能性を、そして、誰かがお店の最後を大切に扱おうとしている証を、何よりも雄弁に物語っています。一番悲しいかたちでの別れではなかった。ただそれだけで、救われた気持ちになったのは、きっとぼくだけではないはずです。

「丁寧な後片付け」が意味するもの

では、この「少しずつ整理している」という事実は、具体的に何を意味するのでしょうか。これは、私たちが以前考察した「ケースB(夜逃げ)」の可能性が大幅に低くなり、「ケースC(法的整理)」の可能性がぐっと高まったことを示唆しています。難しい言葉を使わずに言うならば、「無責任な終わり方」ではなく、**「責任ある、誠実な終わり方」**のプロセスが、水面下で進んでいる、ということです。弁護士のような専門家が間に入り、残された資産(たくさんの在庫や、あのミニ四駆コースも!)をきちんと管理し、次のステップに進むための準備をしている。そう考えるのが、自然な流れでしょう。そして、それこそが、私たちが話し合ってきた「事業譲渡(事業承継)」という、再生への道筋に繋がる、唯一の希望のシナリオでした。

それは、未来への準備だと信じたい

もちろん、これは希望的観測に過ぎないのかもしれません。単に、大家さんへの明け渡しのために、残された物品を処分しているだけ、という可能性もあります。しかし、ぼくは、これを未来への準備だと信じたいのです。

誰かが、責任を持って、この事態の後処理に当たっている。 それは、ケイ・ホビーという存在が、無価値なものとして打ち捨てられたわけではない、ということを意味します。お店の歴史や、そこに詰まったファンの想いを尊重し、できる限り誠実な形で幕を引こうとしている。その誠実さの先に、**「この価値ある事業を、誰かに繋げたい」**という想いがあったとしても、決して不思議ではありません。シャッターの奥の明かりは、単なる電灯の光ではありません。それは、この物語がまだ終わっていないことを示す、温かい希望の光なのだと、ぼくはそう信じています。


応援するぼくたちに、今できること

この新しい情報を受けて、ぼくの心は決まりました。ただ遠くから憶測を重ねるだけではなく、ファンとして、そしてこのお店の再生を応援する者として、できることがあるはずです。絶望の中に灯った小さな光を、みんなで大切に育んでいくために。

現地を訪れ、静かにエールを送ること

まずは、ぼく自身の目で、この「光」を確かめに行きたいと思います。もちろん、作業をされている方の邪魔をするつもりは毛頭ありません。ただ、遠くから、静かに。シャッターの向こう側で、未来に向けた誠実な営みが行われているのだという事実を、この目に焼き付けたいのです。そして、もし可能であれば、その様子を写真に収め、このブログを通じて、同じようにケイ・ホビーの未来を案じている皆さんと共有したいと思います。それは、不確かな情報が飛び交う中で、**「大丈夫、お店は無残に放置されているわけじゃないよ」**という、一つの確かな安堵の材料になると信じています。

希望のシナリオを、温かい言葉で語り続けること

そして、もう一つ。ぼくたちがこのブログで続けてきたように、「希望のシナリオを語り続けること」が、今こそ重要なのではないでしょうか。もし本当に、水面下でケースCの手続きが進んでいるのだとしたら、遠からず破産管財人によって「買い手」が探されるフェーズがやってきます。その時に、「ケイ・ホビーには、これだけ多くのファンがいて、こんなにも具体的な事業再建のプランを夢想し、復活を待ち望んでいる人たちがいる」という事実が、どれほど大きな後押しになることか。私たちの温かい応援の声は、決して無力ではないはずです。

その「光」が、もっと大きくなるように

閉店から一週間。物語は、絶望的な「夜逃げ説」から、かすかな希望が灯る「誠実な後片付け」へと、大きく動き出しました。シャッターの奥に見えた一筋の光。それが、本当に再生へと繋がる道筋を照らすものなのか、それとも、最後の片付けが終われば消えてしまう、はかない光なのか。まだ誰にも分かりません。 しかし、少なくとも、その光が灯っている今、ぼくたちにできることは、その光に注目し、その意味を前向きに考え、そして、その光がもっともっと大きな輝きになるようにと、応援の声を上げ続けることではないでしょうか。ぼくも、その応援団の一人でありたいと、強く思います。

ぼくが、この店の再生を諦めきれない「本当の理由」

この記事を通して、ぼくはなぜここまでケイ・ホビーの未来について語り続けるのか。最後に、その個人的な、そして本当の理由をお話しさせてください。

思えば、ぼく自身もかつて、ミニ四駆に全てを捧げた少年でした。時は1980年代後半、日本中が熱狂した第1次ミニ四駆ブームの真っ只中です。お小遣いを握りしめてパーツを買い、友達と夜通しマシンを改造し、オイルとプラスチックの匂いに胸を躍らせる毎日。タミヤ公式のジャパンカップはもちろんですが、町の模型屋さんが主催するような小さなレースにこそ、ぼくは夢中になっていました。そこには、顔なじみのライバルや、改造の相談に乗ってくれる優しい店長がいて、学校とは違う、もう一つの大切な居場所がありました。

それから数十年が経ち、ぼくも人の親となりました。

そして、2025年8月14日。 あの日、息子は初めて自分の手でミニ四駆を組み立てました。父親であるぼくが、かつて夢中になったマシン「アバンテ」の名を継ぐ、「エアロ アバンテ」のスターターパックです。小さな手で、説明書と睨めっこしながら、一生懸命に作り上げたマシンを、目を輝かせながら見せてくれた時の顔を、ぼくは一生忘れないでしょう。

そのマシンを手に、息子が「初サーキットデビュー」を果たしたのが、閉店のわずか4日前、8月15日金曜日のケイ・ホビーでした。

息子は、その魅力に一瞬で取り憑かれました。 「明日も行きたい!」 その言葉に応え、ぼくたちは16日、17日と、三日連続でケイ・ホビーのプレイゾーンに通い詰めたのです。静かなコースをたった一人で貸し切りにして、夢中になって自分のマシンを走らせる息子の横顔。それを見ながら、ぼくは、かつての自分と、目の前にいる息子の姿を重ねていました。世代を超えて、同じ情熱を共有できる喜び。そして、その最高の舞台となってくれたケイ・ホビーという場所への、深い感謝の念が込み上げてきました。

三日間の冒険を終えた17日の帰り道、ぼくたちは約束をしました。

「来週また来ようね」

息子は満面の笑みで、力強く頷きました。 来週は、どんなパーツを買って、どんな改造をしようか。親子二人の新しい週末の楽しみが、確かに生まれた瞬間でした。

それが、叶うことのない約束になるとも知らずに。

ぼくがこの記事を書き、再生への希望を語り続けるのは、ただ昔を懐かしんでいるからではありません。 やっと見つけた、息子と共有できる最高の居場所。 息子にとっての「始まりの場所」になるはずだった、かけがえのない空間。 それを、こんなにも突然、理不尽な形で失ってしまったことが、悔しくてならないのです。

あのシャッターの奥に見えた一筋の光が、いつか、再びぼくたち親子のような誰かの「始まりの場所」を照らしてくれることを、心から願っています。

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